キャリアコンサルタント・宮治の自分史 Vol.4【平成ダイジェスト編】

平成最後の日を迎えましたね。

日付が変わって令和になっても、私の日常は何も変わることはないのですが、自分の人生の3/4が平成だったと思うと、ちょっぴり考え深い気持ちも湧き上がってきます。

そして、私は平成の時代をどんな風に過ごしてきたのか、ふと想い出が浮かんできたので「キャリアコンサルタント・宮治の自分史」シリーズの特別版でまとめてみることにしました。

元々「こんな人生歩んできました」と自己紹介を兼ねてスタートしたシリーズなので、何か役に立つ情報があるというわけではないのですが、私のことを知るきっかけになれば幸いです。

平成前期は学生時代~趣味のはじまりはここから

平成元年1月8日。

昭和から平成に変わった日、私は札幌の小学5年生でした。

正直、平成に変わった時に何を思っていたのか、全く覚えていないですし、特に特別な感情もなく、知らず知らずのうちに平成に違和感を感じなくなっていったと思います。

元号が変わったことよりも私にとってインパクトがあったのは、父の転勤です。

家族全員で長野県松本市へ引っ越すことになりました。

平成元年4月からは、松本の小学6年生となり、環境の変化を体感した3年間でした。

▼小学時代の様子はこちら
キャリアコンサルタント・宮治の自分史 Vol.1【誕生~小学生編】

この頃から、テレビドラマを観はじめたことが印象に残っています。

初めて観たドラマは、最近再放送もされていた「東京ラブストーリー」です。

ただ…特にときめく感じは全くなく、「大人の恋愛って面倒なんだな」とやや冷めた感想を持っていたことをよく覚えています(笑)

なので、あまり恋愛ドラマは観ていませんが、唯一ハマったのは「あすなろ白書」で、大好きな俳優のひとりである西島秀俊さんも出演しているので、今でも懐かしんで観ることがあります。

正直、今の時代には合わない演出やシチュエーションもありますが、いつ見ても「あすなろ抱き」は鉄板の胸きゅんポイントだなぁ…と妄想しながら観ています(笑)

あと当時は「火曜サスペンス劇場」が大好きで、この影響か今でも2時間サスペンスドラマは、欠かさず録画して観るのが日課です。

刑事ドラマは、人生における人間の心の変化や行動の動機を知れるような気がして、恋愛ドラマよりも奥が深いと感じているのですが、振り返ると中学生の頃から、そういうところに興味があったんだなと感じています。

▲中学生の頃から旅行に行くのも楽しくなってきました。松本時代は家族で善光寺に行くことが多かったので、とても想い出深い場所です。ここで食べたおやきやおそばの味は格別で、今でもハッキリと覚えています。

平成4年4月に札幌に戻ってきてからは、現在までずっと札幌に住んでいます。

この頃から、今の趣味に繋がるマイブームが起きて、とことんハマっていきました。

例えば私は「ライブ(コンサート)に行くこと」が大好きですが、その原点は高校時代から急激にハマったSMAPです。

私が小学生の頃は光GENJIが大流行していて、おばあちゃんがたくさんグッズを買ってくれたりもしていたのですが、なかなか興味が持てずにいました。

それよりも、光GENJIの後ろで微妙なダンスをしていたSMAPが気になって仕方なかったんです。

ジャニーズが好きな友達に誘ってもらって、初めてSMAPのライブに行ったのが平成6年夏の「SEXY SIX SHOW」です。

ギリギリにチケットを取ったので、2階席の後ろの方ですが、ただただ生SMAPに感動して、それ以来、SMAPのライブに行くことがライフワークのひとつになりました。

大学生の時に、若干GLAYや倖田來未のライブを優先するようになりましたが、SMAPは今でも大好きで、いつの日か一瞬でもいいので5人揃ってのステージを観れたらと願うばかりです。


▼中学生と高校生時代の様子はこちら
キャリアコンサルタント・宮治の自分史 Vol.2【中学生~高校生(前半)編
キャリアコンサルタント・宮治の自分史 Vol.3【高校生(後編)編】

平成中期は社会人第一ステージ~学びを力に

平成12年4月、2000年のプレミアムイヤーに、パソコンインストラクターとして社会人生活をスタートさせました。

パソコン自体は大学4年生の時に短期集中で操作できるようになっていましたが、インストラクションは社会人になってから必死に身体に染み込ませたという感じです。

そして、1年経った頃には授業にも自信が持てるようなってきました。

仕事を楽しめる気持ちのゆとりも出てきて、同期や同じ学校の同僚とも仲が良かったので、平和な新卒時代だったと思います。

ただ、営利目的過ぎて生徒さんのニーズに合わない授業しかできないことに、段々疑問を持つようになって、もどかしさをごまかしきれなくなってもきました。

結局、丸3年で退職決意。

教員採用試験を受けることも検討しましたが、パソコンインストラクターを続けることにし、生徒さんのニーズに合わせた授業をしやすい中小企業のパソコンスクールに転職しました。

転職したことで、担当する授業が増え、また勉強の毎日です。

「生徒さんがどこでつまずき、分かりづらいところはどこなのか?」と色々考えながら、勉強をするのが楽しかったですし、会社で資格取得も推奨していたので、当時のOffice系パソコン資格はほぼ取得して自信もつきました。

このパソコンインストラクターの仕事にはとてもやりがいも感じる一方で、30歳を目前とした時に、私の中で葛藤が生まれ始めてきました。

  • パソコンの普及に伴い、パソコンスクール業界自体が下火になってきている。

  • 転職やキャリアチェンジの相談を受けても、パソコンスキルを身につけてもらうことでしかサポートができない。

  • 週6勤務で、1日の拘束時間が長い働き方を30代になっても続けられるのか。

  • このまま続けても昇給の可能性はほぼゼロでこの先もやっていけるのか。

結果として、30歳になる14日前に人材ビジネス業界に転職し、キャリアチェンジをしました。

人材ビジネスに携わるようになってから、人の心や思考パターン、行動原理に興味を持つようになり、学習欲が爆発的に増しました。

自分が想像できない行動を取る人を目の当たりにして、どんな状況でも対応できる人になりたいという想いがものすごく強かったのです。

私の土台となっている陽転思考をはじめ、NLP™、心理学、知識創造メソッド、宝地図など、30代はとにかく学んで現場で実践してを繰り返して、毎日筋トレしている感じでした。

キャリアコンサルタントとして活動し始めたのは30歳の時で、キャリアコンサルタント養成講座を受講した後、産業カウンセラーとGCDF-Japanキャリアカウンセラーの資格を取得し、今に繋がっています。

ストレングスファインダーでも「学習欲」が上位に来るので、きっと令和になっても継続して学び続けていると思います。

▲和田裕美さんから学んだ陽転思考で、スーパーネガティブ体質もポジティブ疲れも克服できました。学びそのものにも影響を受けましたが、それと同じくらい全国各地に学びの仲間ができたことも心の支えになり、今も感謝の気持ちでいっぱいです。この時の学びと自分自身の経験を融合させて「心地よさを選択する思考のコントロール法」をお伝えすることも増えてきています。

▲大好きなトシさんこと望月俊孝さん。トシさんに会いたくて宝地図を学びに行ったのがきっかけで、多くの方の夢実現を加速するお手伝いができるようになりました。またトシさんのセミナーでドリームサポーターやりたいです。

平成後期は社会人第二ステージ~今に繋がる変化

私が平成の時代で2番目に印象に残っている日は、平成25年10月2日です。

結婚願望ゼロだった私が、入籍した日です。

夫と初めて話をしたのは、平成24年10月14・15日に開催された「フォトリーディング集中講座」でした。

受講生が30人くらいいる中で、私が最後に挨拶したのが夫でした。

「ん?この人、挨拶したっけ?というか、いたっけ?」と思いながら、名刺交換したのが懐かしいです。

正直、税理士をはじめとする士業の方は、当時私の周りにはいなかったですし、財務経理が苦手な私には、士業の中でも税理士は縁遠い人だと思っていました。

そして、夫のことは特に見た目も雰囲気も好みというわけではなかったというのもありますし、私のことを「変わった奴だな」と思っていると察した瞬間があったので、まさか結婚するとは(笑)

人生何が起こるか、本当に分からないものですね。

結婚後は、お互いを尊重しながら過ごしているので、夫婦というよりはパートナーに近い感じですが、私たちにはそれが合っているのかなと思っています。

▲入籍から8か月後に挙げた結婚式のウェディングケーキは、私好み炸裂で、アルパカをモチーフにしてもらいました。大好きなおじいちゃんに参列してもらえなかったことが心残りではありますが、眩しいくらいの晴天でガーデンウェディングができたのは、おじいちゃんが空から太陽を照らしてくれたからだと思っています。

▲夫と一緒に行った屋久島・鹿児島旅行。完全に泣きながら屋久島の縄文杉を見るために頑張ってきました。縄文杉の前にウィルソン株を見て、正直満足してしまった私ですが、気合で何とかゴールまでたどり着き、縄文杉もこの目で見てきました。ただあまりの疲労感と、今来た道をまた戻るのかという絶望感の方が強くて、縄文杉のパワーはあまり受け取れませんでした(汗)

平成終盤の直近3年くらいから、私の生き方自体が大きく変化してきたと感じています。

甲状腺の病気と婦人科系の病気を同時に患ったり、そのことで働き方を見直したり。

そして何よりも父が他界したことで、私自身の価値観が大きく変わってきています。

父が他界した平成30年11月10日が、平成で最も印象に残っているのですが、半年近く経つ今でも、ふと父のことを想い出しては、涙することもあります。

ただ、いつでも近くで見守ってくれていると感じることができるので、頑張ろうという原動力にも繋がっています。

あとは、オンラインサロン(西野亮廣エンタメ研究所)に入ったことも、私にとっては転機になりました。

西野さん自身もとても魅力的な方ですが、サロンを通じて出会えた方とのご縁がきっかけで、視野が広がり、自分にはまだ伸びシロがあると可能性を信じられるようになってきたのが、大きな変化です。

このような流れから、平成30年10月にはこだわっていた会社員を辞めてフリーランスにもなりました。

社会人第三ステージの始まりです。

■フリーランスになった経緯はこちら
会社員にこだわっていた私が、フリーランスになった理由

無計画で方向性も決めきれてなかった状態が続いていましたが、ようやく平成最後の1ヵ月でクリアになってきたという手ごたえを感じはじめています。

個性を引き出すキャリアコンサルタントとして、主体性としなやかな心を育む人材育成を軸に活動をしていきます。

仕事で全国を飛び回りながら、ご当地グルメを食べつくすというライフスタイルが目標です。

最近自分の目標についてできる限り話すようにしていたら、そういうお仕事の話をいただけることが増えてきました。

やはり宣言することは大切だと実感しているので、令和になっても自信をもって宣言し続けていきます。

▲はとバス2.0のようなDJバス。30人限定でしたが早起きのおかげでチケットをゲットでき、乗車してきました。スミノフ片手に歌って踊りながらの東京観光は本当に楽しくてあっという間!あと、DJバスに同乗していたSHOWROOM前田裕二さんが、どんな時でも本当にメモを取る姿を間近で見て「この人は本当の本物だ」と大ファンになりました。

平成後期を語るうえで外せないこと~ファイターズ

最後にやっぱり書いておきたいのが、ファイターズのこと。

北海道移転当初はそこまで興味はなかったのですが、平成19年に職場の人に誘われて札幌ドームに行ったのをきっかけに、今では完全なる熱烈ファンです。

毎年20~30試合は現地観戦をし、応援をしています。

お気に入り選手は、糸井喜男選手(現・阪神)に始まり、移籍後1年の迷走期間を経て、今は中島卓也選手を特に応援しています。

あとオリックスから移籍してきた金子弌大投手も好きです。

ファイターズ観戦は、両親と行くことが多く、親と過ごせる大切な時間でもあります。

今シーズンは母と2人での観戦ですが、父が好きな斎藤佑樹投手のタオルを持参して、一緒に応援しています。

ファイターズは勝っても負けても、強くても弱くても特別なので、令和になってもずっと応援し続けます。

▲ファイターズ感はあまりない写真です(笑)各球団のマスコットも大好きで、その中でも一番好きなドアラと写真が取れてご満悦な1枚です。当時は、好きな選手が決められず何となく大谷翔平推しみたいな感じで、#11のユニフォームとタオルを身につけていました。

昭和に生まれて、平成で成長し、令和はどんな日々を送るのか…。

コツコツ丁寧に、心地よく生きていける選択を重ねていけば、自分が望む道に進んでいけると信じて、令和の時代も歩んでいきます。