高校3年生になると、具体的に志望校を決める決断に迫られるようになりました。
「学校の先生になる」という目標はありましたが、小学校なのか中学校なのか、高校なのか。
中学校、高校なら科目は何にするのか。
進学先は、短大ではなく大学と決めていたものの、その他は全く決めていませんでした。
ただ漠然と「高校の先生」というイメージは持っていました。
私が『「学校の先生になる」と目標を持てたのが高校生の時だったから』という単純な理由です。
そして、自分史上最大の暗黒期(中学3年生)を過ごした場所は避けたかったこと。
さらに「小学校はピアノの実技試験がある」ということで、消去法で残ったのが高校だったのです。
「学校の先生になる」から「高校の先生になる」と決め、志望校も考え始めたころから模試も受け始めました。
が、この結果がもう散々で…(汗)
でも「高校の先生になる」と気持ちが明確になっていたので、諦める気持ちは全くありませんでした。
ただ、やればやるほど模試の結果は散々の極みになっていき、絶望と焦りに押しつぶされる日々。
「大学進学は無理だよね」という自分と「いや、最後までやってみないと分からないじゃん」という自分がせめぎ合っているようでした。
そんなある日のこと。
奇跡と言っても過言ではない出来事が起きました。
指定校推薦で大学を受験できるチャンスが巡ってきたのです!
最後の模試までどの大学も合格ラインに達することはなかったものの、通信簿の成績は良かったことが功を奏しました。
本来、指定校推薦は文理数コースの人しか受けられないのですが、欠員が出たこと。
大学進学希望者の中で、通信簿の成績が良かったこと。
この2点が私に大学生になる道を作ってくれました。
本当にラッキー!!
明確な強い想いを持ってコツコツ頑張ったからこそ、奇跡を引き寄せられたと信じています。
最後まで決めかねていた教員免許の科目は、必然的に「商業」に決まりました。
正直なところ、商業がどんな科目かよく理解していませんでしたが、簿記にも興味はありましたし、まだWindows95が発売されたばかり時代なので、情報系の授業も新しいジャンルでわくわくしました。
模試の結果を見るたびにやさぐれて、友達とロッテリアやミスドにたむろしていましたが(笑)
最後の最後では気持ちを切らさずに、早めに家に帰り勉強を続けて本当によかったと思っています。
「大学に行って、高校商業の教員免許取って教壇に立つぞ!」
そんな想いを胸に充実の高校3年間を終え、晴れて大学生になることができました。
次回の「自分史シリーズ」では、その大学時代のことを振り返っていきます。3部構成になりそうです。
不定期更新になりますが、引き続きよろしくお願いいたします。