中でも私史上、最大に衝撃的だったのは「グラウンドに裸足で行くこと」と「クラスごとに大長縄飛びをすること」でした。
これまで裸足で外を歩いたことがなかったので、裸足で立つだけでも痛い!
歩いたらさらに痛すぎて涙目…というよりも本気で泣いていました。
さらに私は今まで大長縄飛びをやったことがなかったので、どのタイミングで飛んだらいいのかすら分からず終い。
ようやく理解できても足も痛くて飛ぶことが全くできない情けない状態でした。
「それまで悠々と何回も飛べていたクラスに私が入ったことで、全て台無しにしている」
「私は最悪な状態の元凶で、迷惑をかけてしまっている」
とにかくネガティブなことしか思い浮かばず、人生初めての大きな挫折を味わいました。
と、同時に身震いするような恐怖も味わいました。
「自分だけできない」
「自分のせいで迷惑をかけている」
このような状況が受け入れられず、心がパニック状態になり恐怖で押しつぶされそうにもなりました。
ただ、ある時ものすごく冷静になれた瞬間が訪れます。
「この恐怖はどこから出てきているのか」
水泳だってできないことが多かったし、金メダルも結局取れなかった。
「悔しい」とも感じていたのに「恐怖」は感じなかった。
……なぜだろう。
色んな想いが心を駆け巡った結果、恐怖の原因は「クラスメイトの頑張りを自分が台無しにしている」ことで、「それが原因で自分の居場所がなくなってしまうのではないか」という不安が恐怖なのだと気づきました。
思い返せば、それまでも誰かと協力する機会はたくさんありましたが、苦手な役割が当たることがなかった私。
そのため初めてのことも数回練習すればできることばかりで、誰かに迷惑をかけるということもなく、居場所を失うこともなく過ごしてきました。
水泳は目標未達でしたが、あくまで「自分との戦い」なので、たとえ未達でも他の人の頑張りを台無しにするようなことはありません。
「水泳と大長縄飛びは性質が違う」とすぐに理解しました。
そして、水泳を通して「諦めずにコツコツ続けていけばできるようになる」という経験をしていた私は、「頑張る楽しさ」だけではなく「頑張る辛さ」もよくわかっていました。
だからこそ「他の人の努力を私ができないことで台無しにしている事実」に、「申し訳なさ」「心苦しさ」「無力感」…いろんな感情が合わさって恐怖になったのだと考えています。
自分ひとりとだけ向き合っていた時には感じることができなかった恐怖…。
表情も硬く、うまく言葉を発することもできず、存在を消したくなるような感覚があったことも覚えています。
ただ、1週間もたたないうちにこの恐怖から抜け出すことができました。
迷惑をかけていたクラスメイトが助けてくれたのです。
大長縄飛びは、とにかく練習して飛べるようになるしかありませんが、ひとりでは練習できません。
でも、私には「協力してほしい」と声をかける勇気がありませんでした。
転機となったのは、あるクラスメイトが明るく笑顔で「練習しよう!」と声をかけてくれたこと。
そのクライメイトのおかげで、多くの人が一緒に練習してくれることになり、練習を重ねるうちに恐怖心はいつしか消えていきました。
この時、はじめて「感情」の奥深さを知り、「感情」により人の行動が変わると実感することもできました。
恐怖心でいっぱいだった時は、何度やっても飛べなかったのに、恐怖心が消えた途端、不思議なくらい飛べるようになったからです。
「同じ大長縄飛びなのになんでだろう?」と思いました。
子どもだったので、詳しいことはわからなかったのですが、「人っておもしろい」と思いましたし、「人について、感情についてもっと知りたい」と思いました。
それが歳を重ねるにつれて「人に関わる仕事がしたい」と強く思うようになり、気づけば20年以上「人に関わる仕事」をしています。
そう考えると、大長縄飛びは、人生の転機と言える出来事でした。
今回は「子ども時代に経験したことは、今の自分の原点なんだな」と感じながら、ぼんやりしていた記憶の糸をたどり、自分の歩みを振り返ってみました。
次回の「自分史シリーズ」では、中学生時代を振り返っていきます。
「暗黒の1年がある中学生時代をどう振り返るのか…」
もしかするとどんな振り返りになるのか一番楽しみにしているのは私かもしれません(笑)
次回も不定期でお届けしますので、引き続きよろしくお願いいたします。