キャリアコンサルタント・宮治の自分史 Vol.1【誕生~小学生編】

私の旧姓は、「泉」です。

結婚後もビジネスネームは「泉」で仕事をしてきましたが、2018年9月から戸籍名の「宮治」にしようとだいぶ迷って決めました。

(結婚後の苗字については、自分なりに思うことや経験したことがあるので、別の記事でまとめていきます。)

どんな時も「宮治」と名乗るようになって、4ヶ月。

結婚して5年経っていますので、すっかり「宮治」には慣れていますが、ビジネスネームを変えたことで、新しいスタートだなという気持ちになりました。

ただ、「泉 有希乃」として人生の85%を生きてきたことも大切にしていきたいですし、そもそも「泉 有希乃」も「宮治 有希乃」も私です。

なので、「宮治」になってからの私しか知らない人にも「泉」としての私のことを知ってもらいたいないと思うようになりました。

「この想いを形にするぞ!」と気合が入ったので、不定期で過去を振り返るシリーズを連載していきます。

正直どれくらいのボリュームになるかも整理しないままはじめます。

「いつまでこのシリーズ続くの?!」ってツッコみたくなる時がやってくるかもしれませんが、気長にお付き合いいただけたら嬉しいです。

それでは早速、生まれた時から小学生時代のことを振り返っていきます。

ほとんど記憶がない幼少期

1978年1月14日、午前3時3分、北海道札幌市豊平区生まれ。

私は、本屋に勤める会社員の父と、専業主婦の母の間に生まれた長女です。

何不自由なく両親に愛情たっぷり、そして厳しく躾けられながら育ててもらいました。

おじいちゃんも近くに住んでいたこともあり、本当にかわいがってもらっていたので、私の幼少期は特につらかった経験もなく、逆にインパクトのある出来事がないくらい、日常が平穏で幸せな日々を過ごしていたと思います。
 

「思います。」としたのは、ほとんど当時の記憶がないから。

人は辛いことや悲しいことはよく覚えているけれど、他のことは忘れてしまいやすいと聞いたことがあります。

平穏すぎたからなのか、私の記憶力の関係なのかは定かではありませんが、正直当時の記憶がほとんどないので、「思います。」と推測しかできないのです。

それでも、当時の写真を見ると楽しかった記憶、幸せだった記憶が蘇るので、私は幸せな日々を過ごしていたと思っています。

▲大好きなおじいちゃんと。はじめてディズニーランドに連れて行ってもらって相当ウキウキしていたと言われている時の写真です。

学び好きの原点は「水泳」

子どもの頃から習い事が大好きでした。

大人になってから明確に「学ぶことが大好き!」と断言できるようになりましたが、子どもの頃からも、学ぶことで自分のキャパが増える楽しさや充実感を感じていたからだと思います。

初めての習い事は、3歳の時にはじめた水泳です。

小学校5年生まで約10年間続けました。

習い始めた頃は、すぐに溺れそうになるし、鼻や耳から水が入って痛いし、水は冷たいし、先生はスパルタだし…と、とにかく苦痛であんまり前向きに通ってはいなかったようです。
 

それでも母に連れられ、何とかやめずに続け、引っ越しをきっかけにスイミングスクールを変えたことタイミングで「水泳って楽しい」と前向きに練習するようになっていきました。

(この頃は小学生になっているので、おぼろげながら記憶があります。)

新しいスイミングスクールは、何をどこまでできるようになれば進級できるのかが明確だったり、大会で入賞したらご褒美に賞状だけではなくメダルがもらえたり、「もっと早く泳げるようになりたい!」という気持ちが高まっていく仕組みが整っていて自然とやる気が増しました。
 

また、新しいスイミングスクールに通い始めた時は、水泳をはじめて5年経っていたこともあり、自分の中でも「泳げる」という自信がついてきていて、泳ぐことを楽しめるようになっていました。

子どもの頃は楽しさだけで水泳を続けていましたが、大人になって当時を振り返ると「諦めずにコツコツ続けていけばできるようになる 」という経験が、私の学び好きの原点なのではないかなと感じています。
 

ちなみに、小学生になってから水泳で2つ目標を立てていましたが、残念ながら2つとも未達のままです。

目標のひとつは、最上位クラスの認定を受けること。

父の転勤が決まり、スイミングスクールをやめることになったので、あと一歩のところでタイムアップです。

もうひとつは、大会で金メダルを取ること。

こちらはどう頑張っても銀メダルまでしか取れませんでした。

銀メダルでも両親やおじいちゃんがとてもほめてくれたので、もちろん嬉しい気持ちはありましたが、やっぱり悔しいですね。

水泳をはじめるまで、「悔しい」という感情がよくわからなかったのですが、金メダルに手が届かない自分のふがいなさに対して、「悔しい」と感じた時のことははっきりと覚えています。
 

人生ではじめて立てた目標が2つとも未達。

特に金メダルを取れていないことが今でもずっと引っかかっていて、今でも何かに挑戦する時は「金メダル=1番」を目指しています。

ただ、「1番」って大人になった今も経験がないので、「1番になれないコンプレックス」に苦しんでいた時期もあります。

▲プールの飛び込み台が好きです。水しぶきがきれいに飛ぶ飛び込みに憧れて練習していました。得意な種目は個人メドレー!背泳ぎでまっすぐ泳げず苦戦しながらも、得意のバタフライでカバーするパターンで乗り切ってきました。

「裸足で長縄飛び」が人生初の転機

小学6年生の時に札幌から松本に転校したのを機に、水泳などの習い事は一旦やめて学校に慣れることを優先することにしました。

子どもの頃は今よりも人見知りだったこともありますが、それ以上に札幌と松本はカルチャーが違うことが多く、カルチャーショックで戸惑っていたからです。
 
  • 自転車に乗る時はヘルメット着用(引っ越し先のマンションにヘルメットが置いてあって驚きました。) 
  • 6年生でもランドセル通学(札幌では1年生の時しかランドセル通学をしていませんでした。) 
  • 方言がわからない、何言っているのかわからない(特にご年配の方の話が最初から最後までわかりませんでした。)
  • 蛙の解剖実験をする(札幌では写真を見るだけでした。)


中でも私にとって最大の衝撃はグラウンドに裸足で行くこと、そしてクラスごとに大長縄飛びをすることでした。

 

裸足で外を歩いたことがなかったので、裸足で立つだけでも痛いのに、歩いたらさらに痛すぎて涙目というか泣いていました。

さらに根本的な問題として、私は今まで大長縄飛びをやったことがありませんでした。

やったことがないので、どのタイミングで飛んだらいいのかすらわからず、ようやく理解できても足も痛くて全く飛べない。

結果として、私のせいで失敗の連続を繰り返すことになりました。

それまで悠々と何回も飛べていたクラスに私が入ったことで全て台無しにしている、迷惑をかけてしまっていると、人生初めての挫折を味わいました。

と、同時に恐怖も味わいました。

「自分だけできない」「自分のせいで迷惑をかけている」という状況が受け入れられず、心がパニック状態になり恐怖でいっぱいになりました。
 
この恐怖はどこから出てきているのか。

水泳だってできないことが多かったし、金メダルも結局取れなかった。

「悔しい」とも感じていたのに「恐怖」は感じなかった。

……なぜだろう。

 

恐怖の原因は、「クラスメイトの頑張りを自分が台無しにしている」こと、「それが原因で自分の居場所がなくなってしまうのではないか」という不安でした。

それまでも誰かと協力して何かをやるという機会はたくさんありました。

でも、自分で無意識的に避けてきただけなのかもしれませんが、苦手な役割が当たることはありませんでした。

なので、数回練習すればできることばかりで、誰かに迷惑をかけるということもなく、居場所を失うこともなく過ごしてきました。

水泳は目標未達でしたが、あくまで自分との戦いなので、未達でも他の人の頑張りを台無しにするようなことはありません。

水泳と大長縄飛びは性質が違うとすぐに理解しました。

ただ、水泳を通して「諦めずにコツコツ続けていけばできるようになる」という経験をしていた私は、頑張る楽しさと同時に頑張る辛さもよくわかっていました。

だからこそ、他の人の努力を私ができないことで台無しにしている事実に、申し訳なさ、心苦しさ、無力感…いろんな感情が合わさって恐怖になったのだと考えています。
 
自分ひとりとだけ向き合っていた時には感じることができなかった恐怖…。

この恐怖から救ってくれたのは、迷惑をかけていたクラスメイトでした。

大長縄飛びは、とにかく練習して飛べるようになるしかないのですが、ひとりでは練習できません。

でも、協力してほしいと声をかける勇気すらありません。

 
転機となったのは、あるクラスメイトが明るく笑顔で「練習しよう!」と声をかけてくれたことでした。

そしてそれをきっかけに、多くのクラスメイトが一緒に練習してくれることになり、恐怖心はいつしか消えていきました。
 
この時、はじめて「感情」の奥深さを知りました。

「感情」により人の行動が変わると分かったからです。

恐怖心でいっぱいだった時は、何度やっても飛べなかったのに、恐怖心が消えた途端、不思議なくらい飛べるようになったのです。

同じ大長縄飛びなのになんでだろう?って思いました。
 
子どもだったので、詳しいことはわからなかったのですが、「人って面白い」と思いましたし、「人について、感情についてもっと知りたい」と思いました。

それが歳を重ねるにつれて「人に関わる仕事がしたい」と強く思うようになり、気づけば20年以上「人に関わる仕事」をしています。

そう考えると、大長縄飛びは、人生の転機と言える出来事でした。
 
子ども時代に経験したことは、今の自分の原点なんだなと感じながら、記憶の糸をたどって振り返ってみました。
 
次回のシリーズでは、中学生時代から振り返っていきます。暗黒の1年がある中学生時代を自分でどう振り返るのか、今から楽しみです。

▲松本は城下町で、はじめて瓦屋根を見て日本の歴史を感じました。松本城は本当にかっこよくて3年間で何度も足を運んだ大好きな場所です。日本の名城100のスタンプラリーにチャレンジ中ですが、私は松本城が一番テンションあがります。